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今日はダニエル書5章に入ります。謙遜さを学んだネブカデネザル王とその子供であるベルシャツァル王の大きな違いが描かれています。本当に残念です。この若き王は、尊敬すべき自分の父ネブカデネザル王の学んだレッスンを生かすことができなかったのです。社会の必要に応えることができずに、また、正しく状況を認識することができずに、高慢になった若い王の失敗が描かれています。
それでは5章の内容に入ります。5章1-4節には、「ベルシャツァル王は、千人の貴人たちのために大宴会を催し、その千人の前でぶどう酒を飲んでいた。ベルシャツァルは、ぶどう酒を飲みながら、父ネブカデネザルがエルサレムの宮から取って来た金、銀の器を持って来るように命じた。王とその貴人たち、および王の妻とそばめたちがその器で飲むためであった。そこで、エルサレムの神の宮の本堂から取って来た金の器が運ばれて来たので、王とその貴人たち、および王の妻とそばめたちはその器で飲んだ。彼らは、ぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美した。」とあります。エルサレムの神の宮の礼拝のための使用されていた金の器を参列者に見せて、自分の力を誇ります。そして、偶像を賛美し、拝んだと言うのです。この若い王の力はどれほどだったのでしょう。
他方、ネブカデネザル王は本当に偉大な方であったと思います。しかし、高慢になったネブカデネザル王は、国を追われ、人間の中から追い出され、野獣とともに住み、牛のように草を食べ、そのような試練を通して、誠の神に出会う経験をしたのです。天国の本質は、謙遜さです。天の御国は、自らを誇る者の国ではなく、謙遜になった者たちが招かれているということです。謙遜さこそ、天国の特質です。キリストの尊い十字架のあがないを受け入れ、罪の赦しをいただく者たちが招かれる国こそ、天の御国であると言えます。その真理をネブカデネザル王は学んだのです。前回学びましたが、この王は 4章37節で、「今、私、ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。」と告白しています。彼の子供であるベルシャツァルは、自分の父が学んだそのレッスンを学ぶことができたはずです。しかしながら、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえると彼の父が言ったことと、正反対の行為をするのです。誠の神の礼拝用の器を用いて自分の力を誇り、偶像を賛美し、ほめたたえたと言うのです。実に残念です。このような状況の中で、神は1つの奇跡を起こされます。
5、6節ですが、「すると突然、人間の手の指が現われ、王の宮殿の塗り壁の、燭台の向こう側の所に物を書いた。王が物を書くその手の先を見たとき、王の顔色は変わり、それにおびえて、腰の関節がゆるみ、ひざはがたがたに震えた。」とあります。この神の奇跡は、この若者が王としてふさわしくない、そのことを明らかにします。とこらで、この5章ではベルシャツァル王はネブカデネザル王の子供のように表現されていますが、父とはここでは先祖の意味であり、実際は彼はネブカデネザル王の孫であったようです。10節には、「王母は王と、その貴人たちのことを聞いて、宴会の広間に入ってきた。王母は言った。『王よ。永遠に生きますように。おびえてはいけません。顔色を変えてはなりません。』」そのように語りかけ、ダニエルを呼んで、その文字を解き明かしていただこうと具体的な提案をします。この王母は、ネブカデネザルの娘であったようです。ダニエルがネブカデネザル王につかえて、もう60年も経ったであろうと思われます。そのダニエルを王母は覚えていて、このダニエルを呼んでその文字を解き明かしていただこうと提案をします。
書かれた文字は、25節に書かれています。「その書かれた文字はこうです。『メネ、メネ、テケル、ウ・バルシン。』」そしてその解き明かしをダニエルは26節から伝えています。ところで、メネとは数えるという意味のアラム語です。テケルとは重さを測るという意味です。そしてバルシンとは分割すると言う意味です。直訳すると、「数えるよ。数えるよ。重さを測るよ。そして分割されるよ。」との意味です。それを、ダニエルはこのように解釈します。26節から読んでみます。「その言葉の解き明かしはこうです。『メネ』とは、神があなたの治世を数えて終わらせたということです。『テケル』とは、あなたがはかりで量られて、目方の足りないことがわかったということです。『バルシン』とは、あなたの国が分割され、メディアとペルシャとに与えられるということです。」とあります。厳しい神の裁きのメッセージです。あなたの治世を数えて終わらせた。あなたがはかりで量られて、目方の足りないことがわかった。だから、あなたの国は分割される。本当に厳しい神のメッセージです。そしてそのように、30節では、「その夜、カルデヤ人の王ベルシャツァルは殺され、メディア人ダリヨスが、およそ62歳でその国を受け継いだ。」とあります。ここからペルシャの支配が始まって参ります。このような内容ですが私たちは今日の箇所からどんなことを学ぶのでしょうか。
私たちは旧約聖書の中に登場する、多くの信仰者の歩みを通して、そこから多くの教訓を得ることができます。また、旧約聖書の中に預言されているメシアの姿から、新約聖書のイエスの働きを確かめることもできます。礼拝の喜びや御国の性質を学ぶこともできます。皆さんは旧約を読みながら何を学ぶのでしょう。あの偉大なダビデ王、ダビデも自分の国が安定したときに、見てはならない美しい女性を見て、その女性に手を出して、残念にも姦淫の罪を犯しました。ただ、目をそらせればよかったのです。踏みとどまればよかったのです。参照、マタイ5章29節。間違いを犯したその結果、自分の子供たちは、父への信頼を失い、家族に大きな問題が起こって来たのです。私たちもダビデの人生から良いことも悪いことも多くのことを学びます。
旧約聖書は、神は、ユダヤの民を聖なる国民、祭司の王国とするために召されたことを伝えています。そのためにモーセの十戒が与えられ、幕屋が与えられ、彼らは礼拝をする民として生きるようにと求められました。礼拝を捧げる。そして自分に与えられた物を、神を心の中心に迎えて、管理して生きることを求められたのです。彼らは10分の1の収入を神に捧げ、神に仕えて行く、そのような姿勢の大切さを教えられたのです。今私たちは新約の時代に生きています。献金は律法ではありませんが、自分に与えられた物を管理していくことを教えられています。IBFでは、私も含めて10分の1献金を持って神に仕えようと決断をした信仰者が多く起こされています。お金だけではありません。自分の時間もそうです。一週間の内、神との時間を大切にしよう。毎週の礼拝を大切にしようと、決断した者が多く起こされています。礼拝の大切さや献金の大切さ、これらも旧約聖書からも新約聖書からも教えられます。私は今振り返ると、神を信じて、与えられた物を管理することの大切さを教えられて、本当に豊かな人生を生きることができたなと自分の人生を振り返ります。
ダニエル書5章21節の後半から23節までを読んでみます。「ついに、いと高き神が人間の国を支配し、みこころにかなう者をその上にお立てになることを知るようになりました。その子であるベルシャツァル。あなたはこれらのことをすべて知っていながら、心を低くしませんでした。それどころか、天の主に向かって高ぶり、主の宮の器をあなたの前に持って来させ、あなたも貴人たちも、あなたの妻もそばめたちも、それを使ってぶどう酒を飲みました。あなたは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しましたが、あなたの息と、あなたのすべての道をその手に握っておられる神をほめたたえませんでした。」とあります。厳しい神の裁きのメッセージです。しかし、静まって、私たちもこれらのみ言葉をかみしめていきたいです。まず、いと高き方が人間の国を支配されておられるのです。神は、みこころにかなう者をその上にお立てになることができるのです。私たち信仰者は、心を低くして、神を愛し、人に仕えることができるのです。私たちの命を握っておられるのは創造主なる神様です。偶像を賛美するのではなく、誠の神を賛美し、神に栄光をお返しする人生を私たちは生きるのです。そのようなレッスンを、私たちは今日学んでいきたいと思います。そして私の人生を通して、神の御心が地上に行われるようにと、そのような祈りを捧げる者でありたいと願います。
前回も言いましたが、私たちは日本の総理のためにも、世界のリーダーのためにも、このような神の視点に立って祈る者でありたいと思います。
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