↓メッセージが聞けます。(日曜礼拝録音)
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今日でダニエル書を取り上げて、5回目になります。皆さんにとって、どのようなみ言葉やストーリーが心に残っているでしょうか。私にとって特にダニエルの祈りの姿勢が心に残っています。6章10節の後半には、「彼は、いつものように、日に3度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。」とあります。私も朝昼晩と短くても神に目を向けて、自分の願いと感謝を捧げよう、そうチャレンジされています。またダニエル書の大きなテーマである救い主イエス・キリストの誕生の預言と、キリストによってもたらされる天のみ国の教えに私は大いに励まされています。神の国は滅びることがありません。またその主権はいつまでも続くのです。私たち信仰者はその御国の住人とされているのです。
今日はダニエル書の8章に入ります。前回は7章を取り上げましたが、その内容を簡単に振り返ってみます。ダニエルは4頭の大きな獣の幻を見ます。これらの獣は、これから起こるであろう世界の国々について暗示するものです。その4頭の獣は、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、そしてローマの姿を鮮明に表しています。そして、救い主がローマの時代に与えられること、それと同様に、神に敵対する反キリストも起こっていくことが、その幻の中に描かれています。しかし、反キリストは、「永久に絶やされ、滅ぼされる。」と約束されています(7章26節)。そして、たとえ試練や困難な道を通ったとしても、主イエスを信じる私たちは神の国の市民とされ、神と共に御国で支配する者とされるのです(27節)。そのような内容が7章では語られています。
8章の内容を初めに簡単に説明します。ギリシャは4つの国に分かれて行きます。その中の 1つの国が力を増して、イスラエルを攻撃するのです。そして神殿を汚すのです。そのことが明らかにされています。歴史を振り返ってみますと、この幻のように、アレクサンドロス大王の死後にギリシャは4つの国に分割され、その1つであるシリヤから神に反対して立ち上がる軍隊が起こってきたのです。確かに神は歴史をその御手に握っておられます。神殿を荒らす軍隊が起こってきますが、神はそのような力を滅ぼされるのです。詳しく見てみます。
8章1節で、「ペルシャッァル王の治世の第3年、初めに私に幻が現れて後、私、ダニエルにまた、1つの幻が現われた。」と書かれています。7章の幻が与えられてから3年後に、新たな幻をダニエルは見るのです。8章3節で、「私が目を上げて見ると、なんと1頭の雄羊が川岸に立っていた。それには2本の角があって、この2本の角は長かったが、1つはほかの角よりも長かった。その長いほうは、あとに出てきたのであった。」とあります。1頭の雄羊とはメディアとペルシャの連合軍を指しています。メディアは、後にペルシャによって征服されていきます。1つはほかの角よりも長かったとありますので、ペルシャが力を増していく、そのような変化をよく表しています。このペルシャは、4節で、「西や、北や、南のほうへ突き進んでいるのを見た。どんな獣もそれに立ち向かうことができず、また、その手から救い出すことのできるものもいなかった。それは思いのままにふるまって、高ぶっていた。」とあります。ペルシャは小アジア(今のトルコ)から、北はカスピ海、南はエジプトまで力を伸ばす大国になるのです。しかし、このペルシャも高ぶり、後にギリシャによって滅ぼされるのです。
5節には、「私が注意して見ていると、見よ、1頭の雄やぎが、地には触れずに、全土を飛び回って、西からやって来た。その雄やぎには、目と目の間に、著しく目だった1本の角があった。」とあります。著しく目だった1本の角とは、ギリシャのアレクサンドロス大王を表しています。西からアレクサンドロス大王が攻めて来て、ペルシャを滅ぼし、この地域を支配するようになるのです。でもこのギリシャも8節で、「この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったときに、あの大きな角が折れた。・・」とあります。アレクサンドロス大王の力は確かに偉大でしたが、彼も高ぶり、その角が折られるのです。そしてその国は4つに分かれていきます。その中の1つがシリヤ地方に起こった王国です。9節で、「そのうちの1本の角から、また1本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった。」とあります。歴史を振り返りと、1本の小さな角が芽を出してとは、アンティオコス・エピファネス王がシリヤから起こったことであろうと理解されます。彼は麗しい国、つまりイスラエルに向かって攻めて来たのです。そして、この異教徒がエルサレムを一時的に支配するようになるのです。10,11節では、「それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり、軍勢の長にまでのし上がった。それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。」とあります。彼は麗しい国を征服し、祭司を退け、ギリシャの偶像を持ち込み、神の住まいである神殿を汚して行ったのです。聖所の基はくつがえされるとは祭壇が壊され、偶像礼拝が行われている姿です。神の都であるエルサレムはこの王によって支配され、神への礼拝が禁止され、偶像礼拝の場所に変わって行ったのです。12節で、「軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。」とあるのです。このエピファネス王を、真理を地に投げ捨てた王と表現しています。さらに13節では彼を荒らす者と表現しています。しかし、14節で、「2300の夕と朝が過ぎるまで。そのとき聖所はその権利を取り戻す。」とありますので、イスラエルを支配した彼の力も約6年4か月で終わることが暗示されています。この者も神殿を汚す反キリストであったのでしょう。しかし、その支配は一時的でしかありません。
この預言のように、アンティオコス・エピファネス王がイスラエルを攻めた時に、ユダヤの民の中から解放のための闘いが起こって来ました。それは、マカバイ戦争と呼ばれ、紀元前167年から160年までこの戦いが続きます。そして、もう一度エルサレムの神殿に真の礼拝が復活するのです。このことを記念して、今でもユダヤの民はハヌカーの祭りを祝っています。ハヌカーとは、ヘブライ語で「ささげる」という意味の動詞です。この祭りは、宮清めの祭り、奉献の祭り(Feast of Dedication)、光の祭り(Festival of Lights)とも呼ばれています。一部、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用。
25節で、「彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人の手によらずに、彼は砕かれる。」とあります。聖所を汚す者、別の表現で、聖所を荒らす者(13節)は神によって裁かれるのです。礼拝が誠の神への礼拝ではなくなり、偶像礼拝に置き換えられることは、本当に悲しい出来事です。君の君(天の神)に向かって戦いを起こしたこの者を神は決してお赦しになりません。人の手によらずに、彼は砕かれると書かれています。ダニエルはその幻を見たのです。
神は私たちの礼拝を大切に受け止めてくださっています。マカバイ戦争の時、ユダヤの民は、神の正しい裁きを信じて立ち上がったのです。同様に、私たちも週の初めの礼拝を大切にして行きたいです。御国に入るまで、礼拝の喜びを見出して歩もうではありませんか。イエス様、あなたの十字架を感謝します。そう賛美を捧げ、み言葉を信じて歩んで行こうではありませんか。
26節には、「先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。これはまだ、多くの日の後のことだから。」とあります。終末に向かっている今、教会に対しての迫害がいつか起こってきます。サタンはクリスチャンに礼拝を辞めさせようとするのです。そして、礼拝をしても無駄だよ。そのようにささやきます。しかし、もう一度覚えて行きたいです。たとえ新たに反キリストが起こったとしても、神はいつか、人手によらずに、彼を砕かれるのです。私たちも、聖霊の助けによってサタンに勝利するのです。そう信じて、精一杯神に感謝を捧げ、兄弟愛に熱心に歩んで行きましょう。
ヘブル13章15節と16節には、「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち、御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。善を行うことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。」と書かれています。このみ言葉のように、賛美と善い行いで神への礼拝を続けて行きましょう。(音声メッセージは礼拝後にアップする予定です。)
今日でダニエル書を取り上げて、5回目になります。皆さんにとって、どのようなみ言葉やストーリーが心に残っているでしょうか。私にとって特にダニエルの祈りの姿勢が心に残っています。6章10節の後半には、「彼は、いつものように、日に3度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。」とあります。私も朝昼晩と短くても神に目を向けて、自分の願いと感謝を捧げよう、そうチャレンジされています。またダニエル書の大きなテーマである救い主イエス・キリストの誕生の預言と、キリストによってもたらされる天のみ国の教えに私は大いに励まされています。神の国は滅びることがありません。またその主権はいつまでも続くのです。私たち信仰者はその御国の住人とされているのです。
今日はダニエル書の8章に入ります。前回は7章を取り上げましたが、その内容を簡単に振り返ってみます。ダニエルは4頭の大きな獣の幻を見ます。これらの獣は、これから起こるであろう世界の国々について暗示するものです。その4頭の獣は、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、そしてローマの姿を鮮明に表しています。そして、救い主がローマの時代に与えられること、それと同様に、神に敵対する反キリストも起こっていくことが、その幻の中に描かれています。しかし、反キリストは、「永久に絶やされ、滅ぼされる。」と約束されています(7章26節)。そして、たとえ試練や困難な道を通ったとしても、主イエスを信じる私たちは神の国の市民とされ、神と共に御国で支配する者とされるのです(27節)。そのような内容が7章では語られています。
8章の内容を初めに簡単に説明します。ギリシャは4つの国に分かれて行きます。その中の 1つの国が力を増して、イスラエルを攻撃するのです。そして神殿を汚すのです。そのことが明らかにされています。歴史を振り返ってみますと、この幻のように、アレクサンドロス大王の死後にギリシャは4つの国に分割され、その1つであるシリヤから神に反対して立ち上がる軍隊が起こってきたのです。確かに神は歴史をその御手に握っておられます。神殿を荒らす軍隊が起こってきますが、神はそのような力を滅ぼされるのです。詳しく見てみます。
8章1節で、「ペルシャッァル王の治世の第3年、初めに私に幻が現れて後、私、ダニエルにまた、1つの幻が現われた。」と書かれています。7章の幻が与えられてから3年後に、新たな幻をダニエルは見るのです。8章3節で、「私が目を上げて見ると、なんと1頭の雄羊が川岸に立っていた。それには2本の角があって、この2本の角は長かったが、1つはほかの角よりも長かった。その長いほうは、あとに出てきたのであった。」とあります。1頭の雄羊とはメディアとペルシャの連合軍を指しています。メディアは、後にペルシャによって征服されていきます。1つはほかの角よりも長かったとありますので、ペルシャが力を増していく、そのような変化をよく表しています。このペルシャは、4節で、「西や、北や、南のほうへ突き進んでいるのを見た。どんな獣もそれに立ち向かうことができず、また、その手から救い出すことのできるものもいなかった。それは思いのままにふるまって、高ぶっていた。」とあります。ペルシャは小アジア(今のトルコ)から、北はカスピ海、南はエジプトまで力を伸ばす大国になるのです。しかし、このペルシャも高ぶり、後にギリシャによって滅ぼされるのです。
5節には、「私が注意して見ていると、見よ、1頭の雄やぎが、地には触れずに、全土を飛び回って、西からやって来た。その雄やぎには、目と目の間に、著しく目だった1本の角があった。」とあります。著しく目だった1本の角とは、ギリシャのアレクサンドロス大王を表しています。西からアレクサンドロス大王が攻めて来て、ペルシャを滅ぼし、この地域を支配するようになるのです。でもこのギリシャも8節で、「この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったときに、あの大きな角が折れた。・・」とあります。アレクサンドロス大王の力は確かに偉大でしたが、彼も高ぶり、その角が折られるのです。そしてその国は4つに分かれていきます。その中の1つがシリヤ地方に起こった王国です。9節で、「そのうちの1本の角から、また1本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった。」とあります。歴史を振り返りと、1本の小さな角が芽を出してとは、アンティオコス・エピファネス王がシリヤから起こったことであろうと理解されます。彼は麗しい国、つまりイスラエルに向かって攻めて来たのです。そして、この異教徒がエルサレムを一時的に支配するようになるのです。10,11節では、「それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり、軍勢の長にまでのし上がった。それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。」とあります。彼は麗しい国を征服し、祭司を退け、ギリシャの偶像を持ち込み、神の住まいである神殿を汚して行ったのです。聖所の基はくつがえされるとは祭壇が壊され、偶像礼拝が行われている姿です。神の都であるエルサレムはこの王によって支配され、神への礼拝が禁止され、偶像礼拝の場所に変わって行ったのです。12節で、「軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。」とあるのです。このエピファネス王を、真理を地に投げ捨てた王と表現しています。さらに13節では彼を荒らす者と表現しています。しかし、14節で、「2300の夕と朝が過ぎるまで。そのとき聖所はその権利を取り戻す。」とありますので、イスラエルを支配した彼の力も約6年4か月で終わることが暗示されています。この者も神殿を汚す反キリストであったのでしょう。しかし、その支配は一時的でしかありません。
この預言のように、アンティオコス・エピファネス王がイスラエルを攻めた時に、ユダヤの民の中から解放のための闘いが起こって来ました。それは、マカバイ戦争と呼ばれ、紀元前167年から160年までこの戦いが続きます。そして、もう一度エルサレムの神殿に真の礼拝が復活するのです。このことを記念して、今でもユダヤの民はハヌカーの祭りを祝っています。ハヌカーとは、ヘブライ語で「ささげる」という意味の動詞です。この祭りは、宮清めの祭り、奉献の祭り(Feast of Dedication)、光の祭り(Festival of Lights)とも呼ばれています。一部、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用。
25節で、「彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人の手によらずに、彼は砕かれる。」とあります。聖所を汚す者、別の表現で、聖所を荒らす者(13節)は神によって裁かれるのです。礼拝が誠の神への礼拝ではなくなり、偶像礼拝に置き換えられることは、本当に悲しい出来事です。君の君(天の神)に向かって戦いを起こしたこの者を神は決してお赦しになりません。人の手によらずに、彼は砕かれると書かれています。ダニエルはその幻を見たのです。
神は私たちの礼拝を大切に受け止めてくださっています。マカバイ戦争の時、ユダヤの民は、神の正しい裁きを信じて立ち上がったのです。同様に、私たちも週の初めの礼拝を大切にして行きたいです。御国に入るまで、礼拝の喜びを見出して歩もうではありませんか。イエス様、あなたの十字架を感謝します。そう賛美を捧げ、み言葉を信じて歩んで行こうではありませんか。
26節には、「先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。これはまだ、多くの日の後のことだから。」とあります。終末に向かっている今、教会に対しての迫害がいつか起こってきます。サタンはクリスチャンに礼拝を辞めさせようとするのです。そして、礼拝をしても無駄だよ。そのようにささやきます。しかし、もう一度覚えて行きたいです。たとえ新たに反キリストが起こったとしても、神はいつか、人手によらずに、彼を砕かれるのです。私たちも、聖霊の助けによってサタンに勝利するのです。そう信じて、精一杯神に感謝を捧げ、兄弟愛に熱心に歩んで行きましょう。
ヘブル13章15節と16節には、「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち、御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。善を行うことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。」と書かれています。このみ言葉のように、賛美と善い行いで神への礼拝を続けて行きましょう。
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