聖書は、愛の実践を強く勧めている。
愛の実践を通して、神の愛、キリストの愛の大きさを少しでも理解できるようになるからであろうと思う。
私の友人の一人が生活保護を受けるようになった。彼はとても優秀な方であるが、生活上での知恵が足りない。部屋の片づけなどわかっていても思うようにできないようである。教会の方々と一度生活ごみの片づけに伺った。そのときはかなりのごみを片付け、生活できるスペースを作ってあげられたが、6か月後の今回もごみに囲まれて生活している状況が生じてしまった。今回は彼のお父さんにもその状況を連絡させていただいた。本人は体を壊して教会の交わりにも出席できなくなってしまったからだ。クリスチャンである彼のお父さんは息子のために支援を申し出てくださった。それも息子だけでなく、生活上片づけができない方がいたら、その方々にも支援ができるようにと精いっぱいの献金を申し出てくださった。今回、二度目の生活ごみの片づけを私も含めて5名のボランティアで実行した。本人が自立の道をスタートできるように市の担当者にも連絡させていただいた。
ローマ12章9節-10節には「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善を親しみなさい。兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって心から互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」とある。また、ローマ13章10節には「愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。」と書かれている。
私たちは今、旧約聖書の律法の監理のもとに置かれてはいない。しかし、愛の実践は律法を全うすると肯定的に教えられている。私の友人が自分の足で人生を生きれるように多くの人の励ましが必要になることと思う。また自分を支配している悪い習慣からもキリストは私たちを開放してくださることを約束しておられる。キリストの十字架上での犠牲は私たちの罪の赦しだけではなく、無償の神の愛を私たちに示している。私たちもこの無償の愛に応答して小さな一歩、兄弟愛の実践を進みだしたいと願う。