毎年、クリスマス礼拝では、多くの方が洗礼を受けられる。2018年度のクリスマスに
私が牧会しているIBFでも2名の方が洗礼を受けられた。本当に感謝なことです。お二
人の証を載せますので、ぜひ喜びのこころで読んでいただきたい。お一人お一人に働
かれる神様の働きに気づいていただけたら幸いです。
私はクリスチャンホームで生まれ育ちました。なので、最初は当たり前のように教会にいきつづけました。中学生になると部活が大変で、日曜日も部活、毎日が部活の日々でした。中学生3年間で教会に来れたのも数えられるくらいでした
こんな日々を3年間続けていて、毎日が部活のことで頭いっぱいで今考えると神様から離れていたなと思います。
ある日、高校受験も終え落ち着いてた頃、K君がhi-b.aというクリスチャン高校生がたくさんいる場所に誘ってくれました。
そのhi-b.aでは、たくさんのイベント、定期集会をしているのですが、今年の夏、キャンプがありました。たくさんのクリスチャン友達と会いたい、仲良くなりたい、神様についてもっと知りたいと思いキャンプに行きました。
1日目の夜スタッフからのメッセージで『神様からの愛』について学ばされました。
私は中学生の時、部活で上手い、下手や勉強の頭の良さなど学校でたくさんの人と自分は比較していて、高校生になっても、自分を低く見てしまうときがあり、自分の世界に入ってしまって神様から離れて離れて1人で泣いていたときもありました。ですが、ある聖書箇所でその時、私は神様から離れていても神様は見離さず愛してくださっているんだと思わされました。イザヤ43:4の前半「あなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」、イザヤ49:15.16「この私はあなたを忘れない。見よ。私は手のひらにあなたを刻んだ」
「あなたは高価で尊い」神様は愛して下さる。私の中で人の目で自分の価値を決めていたと思いました。私の価値は神様が決めて下さるんだ。
また、「私は手のひらにあなたを刻んだ」私は神様にとって忘れない決して離れない存在でいて下さっているんだと思い、神様の愛は偉大だと思いました。
その愛に答えてられてないなと思い答えるため何しようと思っていました。
そのメッセージが終わって、スタッフが「今までイエス様を信じれなかった人、今日から信じますか?信じていた人は今日洗礼を受けようと決心した人手を挙げて下さい」と言ってくださってそこで私は神様の愛に答えるためには、洗礼を受けようと決心することができ手が挙がりました。
改めて、イエス様は私の唯一の救い主であると信じて生きていこうと思います。
最後に大事にしていきたいなと思っている聖書箇所を読んで終わりたいと思います。イザヤ46:4「あなたがたが年をとっても、私は同じようにする。あなたがたが白髪になっても、私は背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。」
私がIBFに行き始めたのは5年前の3月だったと思います。私が大学に上がる前の高校3年生の春休みです。その日はAちゃんの洗礼式で、私の母親とAさんのお父さんが小学校からの同級生だったので誘われて行ったのでした。
少し私のそれまでの経歴についてお話しします。私はそれまで無教会の母親が行ってた集会に行っていました。でもメッセージも難しく若い人も少ないのでクリスマスとかイースターに行くくらいでした。中高がキリスト教だったので、神様の存在は知っていたし、学んできたつもりでした。中高のときは毎朝の礼拝があったので日曜はゆっくりしたいという気持ちがあり、あまり行けてなかったのですが、大学では毎朝の礼拝がなくなるので、教会に行ってみようかなと思い、IBFに行きました。
そこからジャーニーに参加するようになりました。同世代の人とIBFで話すことがとても楽しかったです。最初は毎月のジャーニーだけ参加していました。大学も忙しいし日曜はバイトしたり、遊びの予定を入れたりしていました。そのころは教会に聖書を学びたいという気持ちよりは友達と話すのが楽しいからという感覚だったと思います。
大学1年生の10月ごろ、Mさんに、KGK(キリスト者学生会)という大学生のクリスチャンの集まりに行かないかと誘われました。そのころからKGKに行き始め、日曜以外にも聖書のメッセージを聞く機会が増えました。KGKの集まりには参加するけど教会に行くのは月1という謎の期間が大学3年生くらいまでつづいたと思います。
私がIBFに毎週くるようになったのは、大学4年生くらいだったと思います。今から1年半前くらいの話しです。そのころは使徒の働きのメッセージでした。そのメッセージを聞くのがたのしくて、すごく心が満たされる気分でした。そのころ、大学4年生のときは、大学院進学のための受験勉強をしていたり、教育実習があったりと、忙しい時期でした。それまでの私は、今思うと誰かと遊ぶことで寂しさを埋めてたんだなと思います。でも大学4年生のときに受験勉強を毎日する中で、どこかに出かけるというのが日曜しかなくなりました。日曜にIBFにいく、メッセージをきく、ことか毎週の楽しみになり、心が癒されて、一週間頑張ろうという気持ちになれることに気づいたのです。
使徒の働きの1章8節でイエスが弟子たちの前から天に引き上げられるとき、こう言いました。「しかし、あなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」私の証人となる、という言葉はすごく心に残りました。私はクリスチャンとして福音にいきることでイエスキリストの証人なんだと思うことができます。そのはっきりした言葉が聖書には書かれているのです。この箇所をみて、私もイエスの証人として生きていきたい。と思うことができました。
4/1のイースター礼拝のときにMさんとご飯に行って、受洗について話し、受洗を決意しました。それまで、受洗することをすごく悩んでいたので、この機会が与えられて神様の導きがあったんだなと思いました。とっくに神様を信じた気ではいましたが、洗礼を受けることについて、聖書でこうかかれています。使徒の働き2章38節「そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」バプテスマを受けることによって、神様が聖霊を与えてくださり、私のことを内側から変えてくれるのです。受洗する前は受洗しなくても神様を信じてるからいいかなと思っていました。しかし、洗礼を受けるということは私のこれからの信仰生活に欠かせないものであると今、思います。聖霊を与えてくださり、証人として生きていくことができるように導いてくださる神様がいるので安心して信仰の道を歩んで生きたいと思います。