↓メッセージが聞けます。(第一礼拝録音)
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 さて、祭りで礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシャ人が何人かいた。
この人たちがガリラヤのベツサイダ出身のピリポのところに来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたい
のです。」と頼んだ。
ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポとは行って、イエスに話した。
すると、イエスは彼らに答えられた。「人の子が栄光を受ける時が来ました。」
まことに、まことに、あなたがたに言います。
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊か実を結びます。
自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。
わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。
わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります。
もしわたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます。

① この時、エルサレムは、過ぎ越しの祭りがあって、人々が街中にあふれていました。
その中に、何人かのギリシャ人がいました。

・ギリシャ人でありながら、この時代、エルサレムで行われる過ぎ越しの祭りのために、わざわざこの地までやってきた、この人たちは、いったいどういう人たちなのでしょうか? 
少々気になります。

・しかし聖書は、そのことには特に触れずに、そのギリシャ人たちが、この時、主イエスの弟子ピリポの所にやって来て、「私たちは主イエスにお会いしたいのですが・・」そう願い出たことを伝えています。

・主イエスの弟子のピリポ。この「ピリポ」という名前は、ギリシャ語の名前であることから、この時やって来たギリシャ人たちは、ピリポという名前なら、きっとギリシャ語が話せるだろう、そう考えて、ピリポの所に行き、彼に、主イエスにお会いしたい旨、願い出たのではないか・・、そう推測できます。

・では、その弟子のピリポは、その願い出を聞いてどうしたのかといいますと・・
彼は、同じ弟子のアンデレの所に行き相談してみたのです。
そこで、アンデレは、ピリポを連れて、主イエスの所に行き、そのことを伝えたのでした。

・「そんな細かいことはどうでもいいではないか」そうお思いになる方もおられかもしれません。

・しかし私は、ここで、聖書はとても大事なことを私たちに教えているのだと思います。

・つまり、人が、救い主イエス・キリストとの出会い至るには・・、実は様々な人を介している・・神さまの御業は、このように人を通して進められてゆくということです。

・私たちは、ともすると・・「救い主と出会ってゆくということは、人は関係ない・・神様だけを求めて行けがいいのだ・・」このように考えやすいのではないでしょうか・・。

・確かに、人に心の焦点を合わせていると・・神さまと真正面から向き合うことが困難になる、という考えは、その通りだと思います。

・しかし、聖書はきょうの個所で・・「あなたが主イエス・キリストと出会う恵みに与ったのは・・そこにたくさんの人たちがおられたからです。」こう教えている、このこと見落としてはならないと思います。

・キリスト者の皆さんは、ご自分が主イエスと出会っていくまでには、いろいろな方が関わって来られた、そのことを思い起こすのではないでしょうか・・。

・この私も、思えば、最初は、教会に行き、そこにおられた日本語がまだまだ流ちょうに語れない青い目をした宣教師の先生がおられて、その方からイエス・キリストの救いの話を聞く機会が与えられました。

・そして、その後も、いろいろな説教者の語られるメッセージや、練られた品性のキリスト者との数々の交わりを通し、徐々にイエス・キリストが、私の救い主であることが見えてきたのです。

・その後も、いろいろな信仰者との出会いがありました。中には、「この方は、イエス・キリストの分身ではないだろうか」そんなことさえ感じさせる方もおられたりしました・・

・そして、ついに、このような私も、「私はイエス・キリストとお会いしました。」と、周りの人たちに公言できる者に導かれていったのです。

・つまり、自分が主イエス・キリストとお会いして、この方と、個人的関係に至るまでには、
沢山の方々が関わってくださったわけです。

・そうです。このように、人は、例外なく、人を介してキリストとの出会を果たしてゆきます。ある方は、友人に誘われて教会に来られたり、ある方は、家族がキリスト者であったので、その教会に集うことになります。そのようにして主イエス・キリストと出会ってゆかれます。

・「いや、私は人を介してキリスト者になったのではありません!」そのように思っておられる方も稀におられるかもしれませんが・・よくよく考えてみますと、それは思い違いなのです。

・春になると、美しい花を咲かせるあの桜の木・・あの桜は、人を介してはじめて増えて行くことができるのだそうです。一方、人が関わらなくなると、その桜は結局朽ちてしまうのだそうです。

・これと同じ様に・・私たちが、主イエスキリストとの出会いを果たしてゆくために、そこに、人々の存在、人々の働きが、不可欠であるのです。

②さて、ピリポとアンデレが主イエスの所に来て「今、外国人がやってきて、主にお会いしたいと言っていますが・・」と言いに来たとき、それを聞いた主イエスはどのような反応をされたのかですが・・

・その時、主はこのように語られました。23節。「人の子が栄光を受ける、時が来ました。」

・この言葉を聞いた二人の弟子は、きょとんとしていたと思います。

・旧約聖書に目を転じて、その伝道者の書という所の3章を見てみますと・・
ここで主イエスが言われている・・「とき」ということについて語られています。

・そこに書かれてあることを要約しますとこのような内容です。
<すべてのことには、神さまの備えた最適な「とき」というものがある。>
<その神さまの備えたその「とき」こそ、すべてにかなって最適であり、また美しいのです。>

・ここで言っている「とき」とは、つまり、時間の流れのことではありません。
 少し古い日本語ですが・・「しおどき」という言葉があります。
ここで語られているのは、そういう意味の「とき」です。
 
・神さまが備えた、最もふさわしいタイミングという意味です。

・つまり、主イエス・キリストは、ピリポとアンデレが、外国人がやってきてお会いしたいと願い出ていると言ったとき、いよいよ神さまのその「とき」が」来たことを察知されたのでした。

・福音書から、主イエス・キリストの公生涯を追ってゆきますと・・、主は、しばしば、この、「ときを察知するための祈り」を、大事な祈りの課題としていたことがわかります。

・私たちも、神さまの、そのときを、的確にとらえることに長けた、賢いキリスト者でありたいと、思います。そのために、ことを祈りつつ生きてゆく、そういう一人一人でありたいと思います。

 
③さて次に、24節を見ますと・・
主イエスは、ときがきたことを語られた後、こう付け加えられました。

・「まことに、まことに、あなたがたに言います。 一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、
一つのままです。 しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」

・誰もが、この御言葉には、深い意味が込められているに違いない、と直感します。

・ここで主は、ご自分のことを「一粒の麦」に譬えられたのでした。
麦一粒を守ろうとして、それを握りしめていれば、その一粒の麦は、一粒の麦のままで終わってしまう。
・一粒の麦は・・握ったその手を開き、その一粒の麦を、地に落としてゆくときに、麦は、多くの実を結ぶことになってゆく・・そう語られたのでした。

・もうお気づきだと思います。これは、ご自分が、この後の十字架の刑に向かってゆく・・
その意味を語られたのでした・・。

・「わたしはいよいよ十字架に掛かる、その時がきました。一粒の麦が地に落ち、増えて行くように、今、わたしは十字架に向かって進んで行きます。 しかし、悲しんではなりません。
それは、わたしに従がってくる者たちひとり一人が、まことのいのちを獲得する為なのです。」
主はこうおっしゃっておられる訳です。

・この一粒の麦のメッセージ、これは、後世、キリスト者たちの人生観に、決定的な影響を与える御言葉となりました。

・先人のキリスト者たちの生き様を見てゆきます時、そこにはこの一粒の麦のように生きていった方々の姿があります。

・彼らは、喜んで、神を愛し、隣人を愛し、ご自分の人生を一粒の麦を地に捨てるように、生きて行かれたのです。ある人は、伝道者として、ある人は教育者、ある人は福祉に身投じ、その場その場で、みなこの一粒の麦が投げ出されたような生涯をおくってゆかれたのでした。

④一粒の麦のように歩んで行かれた先人のキリスト者といいますと・・みなさんはどの方を思い浮かべるでしょうか・・

・私はいろいろな方が浮かんでくるのですけれども・・時間の関係で、きょうは、その中の一人だけ、皆さんに紹介したいと思います。

・それは、斉藤宗次郎(さいとうそうじろう)と言う方です。

・この方は、1877年、岩手県の花巻で僧侶の息子として生まれます。

・この時代の日本は帝国主義の国でした。ほとんどの人は、各国に戦争を仕掛け、その戦争に勝つことに一生懸命になる、そのことが人間にとって一番大事そんな風に考えていた時代です。

・そんな時代にあって、この斎藤宗次郎は、小学校の教師になり、帝国主義、軍国主義教育の真っただ中で働き始めたのですが。しばらくすると、彼は、主の恵みにより病気になります。

・そしてその入院先で、彼は聖書を読む機会が与えられたのでした。 その後、彼は回心し、キリスト者になります。キリスト者になったというより、イエス・キリストの弟子になった、と 言った方がいいかもしれません。

・病気が回復した彼は、教育現場に戻ったのですが、今度は、戦争はけしてしてはならない、と子どもたちに教え始めたため、すぐに解雇されてしまいます。 教師という職業を失ったのです。

・それは、一粒の麦を地に落とした人生の始まりでした。

・そこで彼は、新聞配達業を始めます。 彼は、文字通り、「祈りの人」であったようです。
電柱一本ごとに、立ち止まってはお祈りをし、また、賛美しながら次の電信柱の所迄行く。そのような人だったようです。

・また、彼はポケットに飴玉をいっぱい入れ、ひもじそうにしているこどもたちを見ると与え、温かい励ましの掛けるのでした。また、彼は病気や困っている人がいると聞くと、その人の所にすぐに駆け付けて、全力で助けるのでした。

・このような彼の生きざまは、多くの人の評判になりますが、一方、彼の生き方は、当局の目にも知られ、彼はますます迫害を受けることになりました。しかし、民衆は彼をますます尊敬していったのです。

・その中の一人に、宮沢賢治という人がいました。
 
・斎藤宗次郎先生との交際があった賢治が残したメモにはこうあります。

・「東に病気のこどもあれば、行って、看病してやり、西につかれた母あれば、行って稲束(いなずか)を負い。南に死にそうな人あれば、怖がらなくていいと言い、北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、褒められもせず、苦にもされず、そういう者に私はなりたい。」
 そうです。これは、キリスト者の斎藤宗次郎先生を見つめていた賢治の言葉なのです。

⑤このように、多くの先輩のキリスト者たちが、喜んで一粒の麦のように、己の身を投げ出して生きてゆかれた・・その理由は何だったのでしょうか・・

・それは一言でいうと・・私は、敬虔な先輩キリスト者たちは、この、一粒の麦の様な生き方こそ、実りのある人生であるということをよくよく知っておられたからでないか、そう思います。 
 
・また、このような人生を喜んで歩んで行かれた方々のその信仰は、中途半端な信仰ではなかったのではないか・・そんな風にも思います。
 
・では、私のように、中途半端なキリスト者は、どうしたらよいのかですが・・

・確かに、信仰と希望と愛を真正面に据えておられる方々よりも、その迫力は乏しいと思います。
 全然かなわないと思います。しかし方向性は同じにしてゆくならできるのではないでしょうか・・

・今週も私たちの主イエス・キリストが教えてくださったその道に挑んでゆきたいと思います。

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ヨハネの福音書12章20節~26節 「一粒の麦が」