今回は、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」(へブル11:6)からのメッセージです。前回、11章全体は信仰にテーマを置いていますが、目標を目指して、忍耐を持って生きるようにとの勧めの文脈の中で書かれていることを指摘しました。10章19節から始まるいくつかの勧めのなかで、その模範となる方々を旧約聖書から選んで、私たちを励まそうとしているのです。私たちもこれらの信仰の偉人にならって、試練や困難な中でも、神の言葉を握りながら、ゴールを見失わない生き方を目指して行きたいと思っています。それでは、へブル11章1-7節を読んでみてください。

11章1節には、信仰の定義が書かれています。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」と。望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させる、なんて力強い言葉でしょうか。7節には、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」と書かれています。この7節の聖句から、神に喜ばれる信仰があることが教えられます。第一に、神がおられることを信じる信仰です。困難や試練の中で、私たちは、神がおられることを忘れてしまう時があります。しかし、神は私たちの困難の直中におられるのです。第二に、神を求める者には報いてくださる、そのことを信じる信仰です。祈りを通して、私たち信仰者は多くの助けを神からいただいてまいります。整理しますと、神が私と共におられる。私の祈りに答えてくださる。神の報いがいつか私に与えられる。それらのことを信じる信仰です。そのような信仰を神は喜んでおられるのです。

私の個人的な祈りを分かちあいます。皆さんもきっと同じような祈りをささげておられることと思います。私は、毎朝目覚めると、新しい一日が神から与えられていることを感謝します。イエスが私の心の王座に来られるように求め、イエスを私の心に歓迎してお迎えします。新しい一日を通して、感謝や栄光を神にささげることができるように祈ります。試練や困難の中では、それらに絶える力が与えられ、またそれらを乗り越える力が与えられるように神に祈ります。時には、必要な忍耐が与えられるように。また一日を良くマネージメントできるように。その日その日、必要に応じて、聖句をかみしめて、神との祈りを楽しみます。そのように、イエスがあなたの近くにおられることを信じて、あなたらしい祈りをささげて見てください。

それでは、今日の聖書の箇所から、エノクとノアの人生を考えてみます。まず、5節には、「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。」と書かれています。これは、彼は、地上で死ぬことがなく、天に移されたことを意味しています。創世記5章24節には、「エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」と書かれています。5章には、アダムから始まり、その子セツ、そしてその子供たちの名前が記録されています。7代目がエノクとなります。驚くほど皆は長生きです。5節には、「アダムは全部で930年生きた。こうして彼は死んだ。」とあり、それに比べれば、エノクの一生は、365年であり、決して長寿の人生ではなかったようです。皆さん、彼らの人生の長さに驚かないでください。古代オリエントの文書では、王たちは1万年以上生きたとありますので、聖書に出てくる方々の年齢はむしろ可能性のある現実的な数字であると言えるのでは、と私は思います。しかしながら、創世記の作者は、人生の年数よりも、神とともに生きたエノクは、死ぬことなく、天に召されたことを語り、天国の祝福があることに言及しています。へブルの作者は、このエノクのことを、信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました、と紹介しています。そして、移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました、と。このことから、キリストを信じる私たちも、その信仰によって、天国の祝福が与えられていることに気づきます。

続いて、へブル11章7節には、ノアのことが紹介されています。ノアの洪水の物語は、創世記7-8章に渡って書かれています。ぜひ、読んでみてください。私はアメリカのケンタッキー州にあるノアの箱舟を訪問しました。その箱舟は、聖書に書かれている大きさに造られています。そのサイズは、長さは約132m、幅は約22m、高さは約13mで、3、4階建ての大きなショッピングモールの大きさです。その箱舟は3階の構造で、半日以上かけて建物全体を見学しました。こんなサイズの箱舟を造ることは、命がけの仕事であり、生涯の仕事であることを私は認識しました。神が語られたことを信じて、箱舟を造る、それが本当なら、その信仰の大きさに本当に驚かされます。6節には、「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」と書かれています。私たちは、キリストを信じる信仰によって救われています。それは、ノアがそうであったように、命がけの決断を伴います。私たちの救い主イエスの十字架も、文字通り命をかけた神の業です。私たちもキリストを愛する者として、どのような困難の中でも信仰者としての人生を全うしたいと願っています。私たちの信仰には、神の報いが伴って来るからです。

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。