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今回は、旧約聖書のイザヤ書から4回目のメッセージです。神は歴史をご覧になり、神の定めた時に、高慢な民を裁かれる、そのような視点を信仰者は持って行きたいと願っています。前回私は、高慢になり、罪を犯し続けた北イスラエルを神は裁かれたことを述べました。その際神が用いられたのはアッシリヤの軍隊です。それは、北イスラエルは罪を悔い改めることなく、万軍の主を求めなかったからと説明されています(9:13)。これが預言者の視点です。アッシリヤも、同じです。高慢になり、神から離れ、暴力的な国になって行く時に、神の裁きに会うことになります。アッシリヤでさえ、神に打たれ滅ぼされる日が来ることをイザヤは預言しています。(10:24,25)この原則は南ユダ国の周辺の国々にも適応されることになります。イザヤは13章から23章にかけて諸外国への裁きの宣告を述べることになります。裁きだけではなく、悔い改めの勧めも書かれています。(参照19:22)。その最初の宣告がバビロンに対してなされて行きます。13章1節~14章23節にそのことが書かれています。今日はその中でも14章を取り上げて、バビロンへの裁きがイスラエルの回復の預言になっていることを学んでみたいと思います。それでは、14章1-13節を読んでみてください。

バビロンへの宣告の中心的な言葉の一つは、4-6節に書かれています。「しいたげる者はどのようにして果てたのか。横暴はどのようにして終わったのか。主が悪者の杖と、支配者の笏とを折られたのだ。彼は憤って、国々の民を打ち、絶え間なく打ち、怒って、国々を容赦なくしいたげて、支配したのだが。」と。バビロンが主によって打ち滅ぼされたのは、彼らが、他の民をしいたげ、横暴に振る舞い、民を打ち、悪者であり、そのような支配者であったからであることが言及されています。21世紀の現代でも、独裁的な政権が起こっています。彼らは、時には国民の自由を奪い、横暴に振る舞い、反対する者たちを迫害しています。時代を超えて横暴な指導者が起こって来る、それがこの社会の現実だと思います。しかし皆さん、このような独裁的な国家は、長く継続することはないのではないでしょうか。日本の軍国主義もナチスの政権も終わりました。私たちは、それらの政権の結末を知っています。そのような独裁的な政権が終わると、解放や自由が圧迫されていた民の上に訪れるものです。そのような内容が14章に生き生きと描かれています。

1節には、「主はヤコブをあわれみ、再びイスラエルを選び、彼らを自分たちの土地にいこわせる。在留異国人も彼らに連なり、ヤコブの家に加わる。」と書かれています。さらに3節には「主が、あなたの痛み、あなたへの激しい怒りを除き、あなたに負わせた過酷な労役を解いてあなたをいこわせる日に、」とあります。バビロンが亡ぶ日、それはイスラエルの解放の日です。その日は痛みや怒り、過酷な労役からの解放の日でもあるのです。私は、信仰の故に、迫害や困難に直面したクリスチャンに向かって語られている言葉でもあると理解しています。いつか神は解放の日を用意しておられるのです。7節には、「全知は安らかにいこい、喜びの歌声をあげている。」とあります。いつか喜びの歌声をあげる日が来るのです。試練を耐え忍んだ信仰者には解放の日、喜びの歌声をあげる日が来る。それも主が用意しておられる、それがイザヤの信仰であり、神の約束です。

9-11節には、バビロン王が死者の世界に招かれる様子が描かれています。バビロン王に以前滅ぼされた王たちが彼に語るのです。「あなたもまた、私たちのように弱くされ、私たちに似た者になってしまった。」(10)と。さらに16-21節には彼らは墓にも納められず、この世から忘れられて行く様子が描かれています。「あなたは、忌み嫌われる若枝のように、墓の外に投げ出された。」(19)と。世の中の権威は絶対ではありません。永遠でもありません。独裁的なリーダーたちへの悲しい結末を預言する言葉であると思います。

12-19節には、バビロン王がよみに落とされた理由が描かれています。暴力、高慢、絶対的な権力のゆえに、自分を神の立場に押し上げようとした姿が描かれています。13-14節には、「あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』と書かれています。天に上ろう。いと高き方のようになろう。自分を神の立場に押し上げようとした姿です。皆さん、人間は神によって創造された被造物です。いつか創造主の前に立ち、神の審判を受ける存在です。人間を神にする、人間を礼拝させる、同様な歴史は繰り返して起きてきます。残念ながらそれは事実ではないでしょうか。

さらに、この箇所はサタンの姿を描いている箇所でもあると理解することができます。でも、サタンは神と同等ではありません。いつか神によって滅ぼされる存在でもあるのです。15節には、「あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。」と書かれています。

クリスチャンの皆さん、希望を持って生きようではありませんか。万軍の主は、主の時に悪を徹底的に滅ぼしてくださる方です。(22)それだけではなく、神はしいたげられている者たちの人生を見ておられて、時にかなった助けを備えてくださる方です。悪を滅ぼし、私たちを解放してくださる方です。罪の赦し、解放、自由、それらの約束を信じて生きて行きたいと願っています。

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「主が悪者の杖と、支配者の笏とを折られたのだ。」(イザヤ14:5)