(音声メッセージは礼拝後にアップする予定です。)
今日はダニエル書4章に入ります。今日のテーマはへりくだって歩むということです。天の御国は、へりくだって歩む者たちが招かれている場所であると思うのです。4章37節には、「今、私、ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。」と書かれています。へりくだって歩む、それが今日のテーマです。
それでは、4章の内容を見てみましょう。4章2と3節には、「いと高き神が私に行われたしるしと奇跡とを知らせる事は、私の喜びとするところである。そのしるしのなんと偉大なことよ。その奇蹟のなんと力強いことよ。その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く。」とあります。へりくだって歩むことの大切さを理解したネブカデネザル王の賛美から4章はスタートします。それではネブカデネザル王にどんなことが起こったのでしょうか。簡単に説明します。彼は夢を見ます。その夢は、10-12節に書かれています。「私の寝床で頭に浮かんだ幻、私の見た幻はこうだ。見ると、地の中央に木があった。それは非常に高かった。その木は生長して強くなり、その高さは天に届いて、地の果てのどこからもそれが見えた。葉は美しく、実も豊かで、それにはすべてのものの食糧があった。その下では野の獣がいこい、その枝には空の鳥が住み、すべての肉なるものはそれによって養われた。」とあります。彼が見た幻、それはバビロンの真ん中で天に届くまでに生長した大木の幻です。そしてその葉は美しく、実も豊かで、それにはすべてのものの食糧があったとあります。実は、ネブカデネザル王の姿がその大木を通して明らかにされます。彼は実に優秀な王であり、大きな繁栄を遂げた王であったのです。
ところが13-15節には、「私が見た幻、寝床で頭に浮かんだ幻の中に、見ると、ひとりの見張りの者、聖なる者が天から降りてきた。彼は大声で叫んでこういった。『その木を切り倒し、枝を切り払え。その葉を振り落とし、実を投げ散らせ。獣をその下から、鳥をその枝から追い払え。ただし、その根株を地に残し、・・・』」とあります。彼の繁栄の時が終わる、そのことを明らかにする幻です。ひとりの見張りの者、聖なる者が天から降りてきたとありますから、世界を見張っているみ使い、神の使いが彼に裁きを下すのです。その裁きは、16節で、「その心を、人間の心から変えて、獣の心をそれに与え、7つの時をその上に過ごさせよ。」とあります。彼は理性を失って、獣のようになり、野で一定の期間を過ごすのです。このことをダニエルは以下のように解き明かします。
25節で、「あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、天の露にぬれます。こうして、7つの時が過ぎ、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになります。」と、王に語ります。7つの時とは7年かもしれませんし、7は完全数ですから、一定の期間、神が良しとされた期間を指すとも考えられます。そしてダニエルは王にこのようにアドバイスします。27節で、「それゆえ、王さま、私の勧告を快く受け入れて、正しい行いによって、あなたの罪を除き、貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。そうすれば、あなたの繁栄は長く続くでしょう。」とあります。人は知らず知らずに高慢になるものです。自分の使命を忘れ、自分の欲に支配され、自己中心に陥り、他者を大切にすることを忘れてしまいがちです。自分の力を誇り、自分を最高の者だと誤解し、歴史に名を残したいという自分の欲に負けてしまうのです。29-31節には、「十二か月の後、彼がバビロンの王の宮殿の屋上を歩いていたとき、王はこう言っていた。『この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。』この言葉がまだ王の口にあるうちに、天から声があった。『ネブカデネザル王。あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、こうして7つの時があなたの上を過ぎ、ついに、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。』」とあります。
神の裁きが彼に臨みます。いと高き方である神がすべての国を支配していること、神はその国をみこころにかなう者に委ねることができること。そして、自分は神の大きなご計画の中に生かされていると言うことを、ネブカデネザル王は、知るようになるのです。33節では、「このことばは、ただちにネブカデネザルの上に成就した。彼は、人間の中から追い出され、牛のように草を食べ、そのからだは、天の露にぬれて、ついに、彼の髪の毛は鷲の羽のようになり、爪は鳥の爪のようになった。」とあります。彼は、人間の中から追い出され、野にさまよい、まるで牛のように草を食べ、天の露にぬれて、髪も爪も伸び放題になり、理性を失ったのです。みなさん、ネブカデネザル王のそのような姿が想像してみてください。
しかし、回復が起こります。34と35節で、「その期間が終わったとき、私、ネブカデネザルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻って来た。それで、私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。地に住むものはみな、無きものとみなされる。彼は、天の軍勢も、地に住むものも、みこころのままにあしらう。御手を差し押えて、『あなたは何をされるのか。』と言う者もいない。」とあります。彼は気づきます。永遠に存在される神がおられ、礼拝される方はこの神であることを。天の御国は確かにあるのです。この天の御国は永遠に続くのです。この天の御国では、私たちの権力も名声も何の意味も持たないのです。ただただ神の恵みにより、私たちは救われ、生かされているのです。ダニエルは、この王の体験を私たちに知らせています。
さて、ダニエル書には救い主の啓示が隠れていることを今まで語ってきました。ローマの時代に1つの石が人手によらずに山から切り出され、今までの世界を打ち砕くのです。これは2章45節です。そして2章44節には、「この王たちの時代に、天の神は1つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。」とあります。1つの国、天の御国、これがメシアによって起こされてゆくのです。そして私たちは今、この天の御国を体験しています。私たちはキリストを信じ、罪の赦しをいただき、悔い改めて神と共に生きようと決断をしたのです。これがクリスチャンの人生です。最も偉大な王ネブカデネザルは御国の一端を経験します。それも、もっとも大きな試練を通して経験したのです。そのことを4章は私たちに伝えています。
天の御国は永遠に立ち続けます。御国は限りなく続きます。私たちの名声や私たちの力は一時的なもので、神の前では無き物とみなされます。しかし、私たちは神に出会い、キリストによってキリストに似る者と変えられていきます。食べるにも飲むにも神の栄光のためにとの思いが与えられていくのです。神を褒め讃えて生きる人生に変えられているのです。そしてキリストの歩まれた歩みに、私たちも見習って行こうとの思いが与えられます。高ぶった歩みではなく、へりくだって神と共に生きる人生に変えられていくのです。それがクリスチャンの人生です。ネブカデネザルはそのことを学んで、4章2節で、「いと高き神が私に行われたしるしと奇跡とを知らせることは、私の喜びとするところである。」と述べています。もう一度、神の前にどのように生きたらいいのか、一人一人思いを巡らしてみましょう。へりくだって歩むこと、それはキリスト者の歩みであると言うことを、もう一度認識していきたいのです。参照ピリピ2:4-5。
皆さん、先週の日曜日に相撲のトーナメントが終りました。そして、先週新しい横綱が誕生しました。彼の叔父さんは、最も強い横綱の1人でした。25回も優勝しています。しかし、彼の叔父さん(朝青龍)は、品格が問われた横綱でもありました。土俵での振る舞いや、巡業を休場しながら、母国モンゴルでサッカーに興じたことが問題とされました。そして2010年には暴力問題の責任を取る形で引退をしました。この叔父さんの姿を見ながら、彼なりの努力を重ねて、先週新しい横綱が誕生しました。東京新聞1月29日の記事には、このような文章が書かれています。偉大な存在と比べられながら、自らと向き合い、第74代横綱の地位をつかみ取った。横審の推薦を受け、「私生活でも、土俵の上でも、これが僕なんだ、と見せたい。新しい自分を出していく」と誓った、安定して強く、品格が求められる最高位。相撲を楽しみながら、どう有言実行していくか。決意を胸に、横綱豊昇龍」を築いていく。と書かれています。彼がどのような横綱になるか私たちは楽しみです。
同時にクリスチャンである今の日本の総理や、また多くのクリスチャンによって祈られているアメリカの大統領が、自分を誇り、高慢になって自分に与えられている使命を忘れることがないようにと祈っていきたいです。神は、その国をみこころにかなう者にお与えになることができるのですから。謙遜に、へりくだって、神の御国を新たなリーダーたちも求めることができるように祈っていこうではありませんか。