前回のメッセージで、12年間も長血で苦しんでいたある女性の癒しについて学んだ。イエスは、この女性に「あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」(マルコ5:34)と語りかけている。それと対比するように、自分の郷里に行かれたイエスに向かい、「この人に与えられた知恵や、この人の手でおこなわれるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。(マルコ6:3)とある。それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、・・・イエスは彼らの不信仰に驚かれた。と書かれている。

イエスこそ、私の必要に答えてくださるお方、この方の力に触れて癒していただきたい。そう願ったこの女性は、神の力を体験することとなる。反対に、イエスの家族を含めて、イエスを神の子、救い主と信じない者たちには、何一つ力あるわざを行うことができなかったとある。

神様への私たちの信仰こそ、神の力を体験するカギとなっていることが対比されて教えられている。ぜひ、マルコ5:25-34、6:1-6を読んでみ言葉の語りかけを体験して欲しい。

しかし、話はこれでは終わらない。この時点でイエスに対する信仰を持てなかったイエスの兄弟、ヤコブは、後にイスラエルにできた教会のリーダーの一人になり、ヤコブの手紙を書くことになる。そして、ユダはユダの手紙を書くほどにクリスチャンとして成長することになる。これも驚きである。信仰は神が与えてくださる賜物でもあることに気づかされる。お兄さんであるイエスの言葉に触れつづけ、イエスの奇跡を目撃し、イエスの十字架を目にして、自分の握っていた価値観を変えられることとなる。

ご一緒に私に信仰を与えてくださり、私の信仰を深めてください。そして、私の信仰を通して神の御業を体験する者としてくださいと一緒に祈って行きたいと願う。

聖書 マルコ5:34
そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」

 

あなたの信仰があなたを直したのです