↓メッセージが聞けます。

今回は、「あわれみ深い、忠実な大祭司となるために」(へブル2:17)からのメッセージです。イエスこそ忠実な大祭司であり、私たちのために祈りをささげてくださっている方です。また、私たち信仰者を兄弟とよんでくださり、被造物管理の働きに招いてくださっている方であることを語って行きたいと願っています。それでは、へブル書2章を読んでいただきたい。イエスを信じる信仰がどんなにすばらしいものであるかを、旧約聖書の関係の中でまず、語られています。
 
2章1節には、「私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。」と書かれています。皆さんも私も神の福音を聞いてきたのです。イエスこそ、まことの神であり、罪のきよめを成し遂げられた方であることを聞いて信じる決断をした者であると思います。ますますしっかり心に留めて、キリストと一緒に生きる人生において成長する者でありたいと願います。2節にある、み使いたちを通して語られたみことばとは、律法をさしています。パウロも同じような表現をガラテヤ書3:19節で使っているので、参照してほしい。ガラテヤ3:24節には律法は私たちをキリストへ導くための養育係となったと書かれています。旧約の律法でさえ、堅く立てられて動くことがなく、とあるように新約の福音も同様に確かな約束であり、律法を守って義とされる人生以上の祝福を福音は持っていることを明らかにしようとしています。福音を信じて生きる者には、律法のような束縛ではなく、自由があることに皆さんも気付いておられると思います。4節には、「そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。」と書かれています。イエスの弟子たちも経験したように、イエスの福音を信じる者にはさまざまの力あるわざを経験することがあると言えると思っています。私はイエスを私の救い主と信じて、イエスの御名によって祈る人生を高校生の時から始めました。祈りを通して大学が与えられ、留学が与えられ、結婚に導かれ、仕事や教会の働きが与えられたと、自分の人生を振り返って言うことができます。すべてに順風の人生であったとは言えなくても、その時その時、神の助けがあったことに気付いています。今までの人生を振り返る時に、神にこころからの感謝をささげざるを得ません。
 
2つ目のポイントは、神は私たちを救ってくださっただけではなく、私たちはイエスと共に、万物を治めていく者とされていることです。今まで学んできたことを振り返って見ます。1章に書かれていることは、イエスは世界を造られ、万物を保っておられる方であり、また、万物の相続者である(1:2、3)。イエスは長子(1:6)であり、私たちはイエスの兄弟姉妹とされている(2:12)。2章7節には、イエスを、み使いよりも、しばらくの間、低いものとしたとあり、その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです(2:9)、とある。イエスこそ救いの創始者です(10)。さらに、万物の存在の目的であり、また原因でもある方とは、父なる神様のことであり、父なる神のご計画によってイエスがこの世に送られきたのです。ところで、創世記1章には天地創造の物語が書かれています。そこでは、人間は神に似るように、神のかたちに創造され、そして、すべての動物を支配する使命が与えられています(創世記1:26)。さらに、創世記2:15節には、「神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、また、そこを守られた。」と書かれている。万物の存在の目的である方の思いは、人間は自然を守り、管理することであると理解することができると私は思います。神は人間に自然界を管理する能力も与えておられます。アダムとエバは、残念なことに、サタンに心を奪われ、神との関係が絶たれてしまったが、第二のアダムであるイエスが神と人類の関係を回復し、創造の目的を回復してくださっておられる。そのような理解をもって、へブル書2章を読んでいただきたい。きっとあなたの心のなかに、神さまからのチャレンジが与えられていくものと信じています。黙示録20章4-6節には、千年王国の姿が書かれているが、クリスチャンが王となり祭司となって、キリストと共に、世界を支配する姿が書かれています。興味ある方は参照してほしい。ところで、私は昨年インドを訪問しました。初めての訪問であったせいか、私の想像以上の混乱と無秩序の姿を目撃した。しかし、多くのクリスチャンが頑張って伝道しています。教会でもミッションスクールでもカースト制度では教えない、人間の平等と尊厳を教えている。クリスチャンが多く住んでいる町は、道徳や秩序が回復し、ゴミも回収され、環境も整備され、とても美しく管理されている地域が多いとも聞いています。人が救われて、自分の存在の目的に気付いて行く時に、どのような状況下でも神の奇跡が起こることを目撃できたことは感謝なことです。
 
3つ目のポイントは、今日のメッセージのテーマである、イエスはあわれみ深い、忠実な大祭司となられたということです。そのために、主は、すべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした、と書かれています。すべての点で兄弟たちと同じようにとは、完全な人となられたとの意味であろうと思います。民の罪のために、なだめがなされるとは、罪に対する神の怒りが、キリストの死によって、和らげられることを意味しています。大祭司としての働きはへブル9章に書かれているので参照してほしい。9:12節には、永遠の贖いを成し遂げられたとあり、15節には、キリストは新しい契約の仲介者です。と書かれています。さらに、「大祭司は至聖所に年に一度だけ血を携えて入り、自分のために、また、民が知らずに犯した罪のためにささげるものです。」(7節)とある。イエスは大祭司としての働きを忠実になしてくださった。イエスは、十字架を通して、ご自身を捧げ、その血を通して、永遠の贖いをなしてくださった方です。2:14,15節には、「その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」とある。イエスは大祭司として、私たちを死の恐怖から解放してくださった。さらに、「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」と18節には書かれている。永遠の贖いを成し遂げられた方、そして私の苦しみを知っておられる方、そのイエスが共に生きてくださる、それがクリスチャンが持つ信仰である、なんと幸いかと私は思います。

あわれみ深い、忠実な大祭司となるために