今回は、ある教会員のお父さん(93歳)と尊敬する教会の牧師(94歳)の葬儀が連日続きました。ご両名とも90歳以上の人生を生きられ、多くの社会的な貢献をされた方でした。
牧師の葬儀ではゲストとして参加したのだが、しっかりと聖書からの人生観や故人のなした教会での功績や先生が導かれた方々のお証を聞くことができました。他方、教会員のお父さんは信仰を持つには至らなかったが、あまりキリスト教的な特色を前面に出すことなく、また、賛美歌も省略し、家族への慰めや希望を中心に私がメッセージを準備した。
牧師として未信者でもわかる説教を用意しておく必要を覚えた。その際、どのような人間理解を持つのかが問われてくる。創世記2章7節から読んでみよう。「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」とある。人の体は土地のちりに過ぎないこと、しかし神がいのちの息を吹き込まれた存在が人間であることが教えられている。いのちの息である私たちの存在、Being(心や霊)は死を通して神の前に立つことになる。願わくは、よくやった忠実なしもべであると言われる歩みを目指したいものである。
連日の告別式