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聖書箇所:ヤコブの手紙4章13節~17節  

皆さん、おはようございます。新型コロナウイルスで日常が一変してしまいましたが、皆さんがお元気でいるよう日々祈っています。このような状況になり、休日の旅行や出張、県外へ出掛ける予定がなくなってしまった方もいるでしょう。

私のような日本在住の外国人も大きな影響を受けています。現在日本は海外からの入国を禁止しているため、一旦出国すると、日本への再入国ができなくなっています。日本の永住権を取得していようが、日本人と結婚していようが関係ありません。私は、ほぼ毎年夏に母国マレーシアに帰国しているのですが、今年はそれを延期せざるを得なくなりました。

影響は個人だけではなく、産業界全体に及んでいます。例えば、旅行業界は、諸国の渡航規制による飛行機の運休や空港閉鎖により大打撃を受けています。相当な訓練が必要とされる飛行機のパイロットでさえ、失業者が出てきているようです。

今日の箇所ヤコブの手紙(4:13-17)は将来について語っており、先行きが見えない今の時代にふさわしいと考えました。3点お話します。
1. 人生は不確かなものである。
2. 人生は短い。
3. 計画はペンではなく、鉛筆で書こう。

ヤコブの手紙(4:13-17)を読みましょう。
4:13聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう。」と言う人たち。 4:14あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎません。 4:15むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」 4:16ところがこのとおり、あなたがたはむなしい誇りをもって高ぶっています。そのような高ぶりは、すべて悪いことです。 4:17こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、それはその人の罪です。

人生は不確かなもの
第一のポイントは、人生は不確かなものである、です。ある日の商売はすこぶる順調だったのに、その翌日に大きな問題が起こって、赤字に転落などということもあり得ます。先日、テレビでアメリカ人の有名シェフ、グラント・アハッツさんのことを見て、胸が締め付けられました。そのシェフの斬新なレストランは全米で大成功を収めていたのですが、33歳の若さで舌癌、ステージ4と診断されたのです。そして一時的に味覚も失ってしまいました。
このように、私たちは自分の人生を完全にコントロールできないのです。このシェフほど波乱万丈ではなくても、皆さんも人生で物事が思うようにいかなくて、気持ちが落ち込んだことはあるでしょう。

先程、旅行のキャンセルの話をしましたが、使徒パウロは、イエスの福音を伝えるために多くの場所を伝道旅行しました。パウロの手紙から、彼がスペインやローマに行きたかったことがわかりますが、スペインへの訪問はかないませんでした。しかし、ローマを訪れることはできました。ただし、思い描いていた方法ではなく、鎖につながれた囚人として行ったのです。休日の旅とは大違いです。

しかし、逮捕され、迫害され、むち打たれていたにもかかわらず、パウロの心には喜びがあったのです。これは驚くべきことではないでしょうか。ピリピ人への手紙に、パウロが牢獄にいたことが書かれています。(ピリピ:1:12-14) しかし、パウロの心には喜びがあふれていました。だから牢番にイエスの福音を伝えることができましたし、パウロの大胆な伝道は、他のクリスチャンたちを大いに励ましました。

パウロの中でイエスは力強く働き、牢獄でひどい扱いを受けても、心は喜びに満ちていました。パウロは、変わりゆく物ではなくて、いつも共におられるお方、救い主、イエスの変わらぬ愛に望みを置いたのです。ローマ8章35節に「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。」とあります。人生は不確かなものです。時に思いがけないような悪いことが起こって、心が折れそうになる時もあるかもしれません。でも、私たちの心には平安があります。何故なら、私たちへのイエスの愛は確かなもので、変わらないからです。イエスの御手の中で、私たちは先のことを何も心配しなくてよいのです。十字架の死、復活という力強いみわざによって、イエスはそれを示してくださいました。

人生は短い
第2のポイントは、人生は短い、です。ヤコブ4章14節に「あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎません。」とあります。

人生まだまだ何年も生きるぞ、とお考えの方もいると思いますが、私たちは人生に対して、謙遜な心を持たなくてはならないとヤコブは教えています。神は命を与え、命を取り去ることができます。生きる時を与えられていることを神に感謝しましょう。そうでなければ、今、こうして神のメッセージを聞くことはできないですね。また、与えられた時はあっという間に過ぎ去ることを忘れてはいけません。この後、私たちは永遠の世界に入ります。
地上での命は永遠と比べると、ごく短いものです。そしてどこで永遠を過ごすかは、全ての人間が通る神の裁きで決まります。それを頭に置いて、あなたはどのように生きますか。どのように時間を過ごしますか。人生で最も大切なことは何でしょうか。もしどう生きていったらよいかわからなければ、神に教えてくださいと祈ってみましょう。また、人生について自分に問いながら、聖書をじっくり読んでみてください。

計画はペンではなく鉛筆で書こう
第3のポイントは、ヤコブ4章15節「むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。』」です。「主のみこころなら」は、私たちは自分で計画を考えてよいけれども、いつも神のご計画にオープンで柔軟な心を持っているべきだと教えています。

アメリカ人のティム・チャディック牧師は、「計画はペンではなくて、鉛筆で書こう」と言っています。自分のやり方に固執して変えようとしない人は、ペンで書いている人です。そういう人は、計画が成功するように自分で計画を練るのですが、それがうまくいかないと、神に腹を立てます。誰が人生のボスですか。あなた自身ですか。神ですか。
対して、人生において変える柔軟さを持っていれば、鉛筆で書いているということです。鉛筆は消しやすく、消したところにまた新しく書いていくことができます。自分の日記を神に書いてもらうのです。神に人生のリーダーになってもらうのです。何故なら、神は賢く、よいお方で、私たちを愛し、自分以上に私たちのことをご存知だからです。時に神は、私たちの人生に嵐をもたらすこともあるでしょう。しかし、必ず対岸の安全な場所へと私たちを運んでくださいます。途中で波に濡れることもあるかもしれません。船が揺れて、転び、体中あざだらけになるかもしれません。でも、神は船を打ち砕くことはありません。そして、素晴らしい目的地へと私たちを導いてくださいます。

パウロによるローマ8章28節をもう一度読みましょう。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」
神の目的は何でしょうか。神は私たちの絶望や苦しみを働かせて益に変えてくださいます。益は、私たちがもっと神に近づくことや、私たちが神に似たものとして練られていくことなどでしょう。

人生の意味は、何か成果を出すことにあるのではないと思います。人生の意味は、関係、つながりにあるのではないでしょうか。その最たるものが私たちと神との愛なる関係です。だからこそ神は私たちを造られました。最初の人間アダムが罪を犯し、罪がこの世に入り、この世をゆがめ、苦しみ、対立、病、死がもたらされました。罪はまた私たち人間の性質をゆがめました。それで私たちは愛のない、神とは似ていない者になってしまいました。そして、私たち、この世を元に戻すためにイエスは来てくださいました。これが神の大いなるご計画です。私たちの命はこの神の大いなるご計画の一部なのです。神は、人類を建て直すという大きなご計画に私たちを招いておられます。神のご計画を担うために、まず、私たちは自己中心の性質を捨て去らなければなりません。

「主のみこころなら、私はこのことを、またはあのことをしよう。」と私たち一人ひとりが言えるように祈ります。神が私たちの人生を導く、信頼すべきお方だとあなたに明らかにしてくださるように。人生は不確かなものです。しかし、神は決して私たちを見捨てないと約束しておられます。祈りましょう。

先行きが見えない時代にどう生きるか